芸術の山

芸術の山とは、制作者にとって真に有益な批評的ツールを具現化する媒体である。

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芸術・制作・批評:山ごもりのための準備運動

 以下は、芸術・制作・批評に関係する言葉をキーワード化し解説したものである。水泳の前には、心臓から遠いところから水を浴び、身体を徐々に水温に慣らしていくように注意される。同様に、このキーワード解説集も山ごもりのための準備運動として捉え、活用してほしい。
 各ブロックは、美術批評に近接した外部要素についての項目(「美術理論と批評」など)、美術批評の内部要素について項目(「判断と評価」など)、美術批評と社会との関係の中に現れる項目(「ジャーナリズムと批評」など)の3つによってゆるやかにとりまとめられている。いずれから読んでもかまわず、またすべてを通読する必要もない。他の項目との関連や解説文の参照関係を各々の解説文中で示し、項目相互のリンクをできる限り心がけた。
 筆者らの最大の留意点は、批評においての、また批評に対しての「態度」にある。わたしたちは判断をし、評価をしないでいられることなどない。何か特別にとまでは言えないまでもちょっと入れ込んだものがある人なら分かるはずのことである。美術・芸術と宣い、頂上を極めるにはベースキャンプとしての文脈が必須であるかと思わせる高くそびえる「批評」とて、要領はそれほど変わらない。
 極端であることを恐れてはならない。まずは発話し自らの足場を築け。それを背負ったときに、はじめて「批評」への登坂路は拓かれる。(編集・執筆:田中功起+藤田六郎〔以上、芸術の山〕+山本さつき〔『REAR』制作室〕)

【批評の自律性】
 批評はそれが批評であることで批評として自律している。 続きを読む

【批評と評論】
 批評とは危機(クライシス)を読み解く目であり、自身の基準(クライテリア)を披瀝するものである。 続きを読む

【美術理論と批評】
 批評の眼目は、具体的な作品ないし制作活動の価値について判定を下すことにある。 続きを読む

【制作論と批評】
 批評や評論(→【批評と評論】)の中で、制作論は作品の構造分析をともなった方法論として語られる。 続きを読む

【作家によるテクスト】
 作家が書くテクストは、それがいかなる理由で書かれたものでさえ、構造的には作品の補完物あるいはひとつの参照項として機能する。 続きを読む

【牽引者としての批評】
 テクストの先導にしたがい制作をする作家を考えてみる。 続きを読む

【批評と同時代性:状況/現状と作家】
 有象無象を論じる同時代評論が抱える問題は、そこで書かれていた作家が表舞台から消えたあとも、 続きを読む

【批評の自律性2:批評の始まり】
 あらゆるものは相互作用によって生まれるが、それが生成する過程でその依存対象を越えて自律する可能性をもつ。 続きを読む

【趣味と判断】
 ごく一般的な意味での「趣味(好み)」(美学的な意味での詳細についてはここでは割愛する)が判断に結びつくことは批難し得ない。 続きを読む

【判断と評価】
 そもそもの初めから、「評価」できる者のみが「判断」を可能としている。 続きを読む

【客観主義と主観主義】
 特定の美術理論や美学などによって準備された客観的基準によって個々の対象を判断したり、 続きを読む

【批評と相対主義】
 もちろんあらゆる価値は相対的である。 続きを読む

【批評の自律性3:作品と言葉】
 優れた作品に値しない言葉、感心しない作品に過分な言葉。 続きを読む

【批評の成果】
 もしかすると、批評は存在せず、批評家がいるだけなのか。 続きを読む

【媒介者としての批評】
 作品、作家と受け手(社会)との繋ぎ手としての批評の機能。 続きを読む

【批評と同時代性2:批評の賞味期限】
 美術史に対し同時代性を強調される批評であるが、それは対象が現在であることに留まらない。 続きを読む

【ジャーナリズムと批評】
 ジャーナリズムとは、公正を期した視点でもってある特定の地域の出来事を報告することである。 続きを読む

【カタログ】
 カタログとは、構造上、展覧会のオープニングに配布されるものとして作られている。 続きを読む

【批評と市場】
 市場的価値を上げる評論はあるかもしれないが、 続きを読む

【批評の権力性】
 評価には、文化庁など公的機関はいうに及ばず、美術団体や美術賞など、 続きを読む

【批評の「現場」】
 古典的批評理解から言えば、それは何よりも作品との出会いの場である。 続きを読む

【批評と芸術】
 人はなぜ生きるのか、という問いかけに対して、普遍的な正答を出した者はいまだいない。 続きを読む

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註:
 本稿は、『REAR』第5号〔2004年、『REAR』制作室〕に掲載された「芸術・制作・批評――批評をめぐる断章」を改題・再編集したものである。掲載にあたっては、山本さつきの許可を得た。山本および『REAR』*1制作室(名古屋地域*2を中心に活動する芸術批評誌)に感謝する。

*1 【REAR】批評誌『REAR』創刊趣旨のひとつとして述べられたこと、 続きを読む

*2 【補足:名古屋地域の批評の歴史(批評誌の歴史)と現況】名古屋地域では、批評的活動における新聞記者、美術館人の役割が比較的大きかった。 続きを読む

【新しい目的地 destination】

 すでに1815年、フランス芸術アカデミーの重鎮、カトルメール・ド=カンシーはいう。さきごろ登場した美術館は、邸宅から礼拝堂までありとあらゆるところから、美術作品をかき集めてくる。だがそのことでかえって作品は、その本来の行き場destinationを失うことになるのだ、と。美術作品が「動産」であることが、徒になったわけだ。
 そして二一世紀の初頭、美術館について、ある雑誌記者はいう。それはもう服飾店と並ぶ現代建築のショウ・ケースで、ありきたりのツアーに倦んだツーリストたちのための、新しい目的地destinationなんだよ、と。
 スペイン北部の斜陽の町ビルバオから、北陸の古都金沢まで。各地に続々と出現しつつある美術館が、その建築としての自己像を喧伝し、また折に触れその建築に特化されたインスタレーション作品の所蔵を強調するのは、自らが〈サイト・スペシフィック〉でありたいという願望のあらわれだろう。
 作品ではなく、美術館それ自体が目的地destinationとなること。こうしてド=カンシー以来、コンスタブル、ヴァレリー、そしてアドルノと、すこしずつかたちを変えながら、けれど約二世紀間にわたって連綿と抱かれてきた美術館に対する不満──その無味乾燥な場所では作品は窒息してしまうという不満──はいま、思わぬかたちで解消されることになる。そしてかつておなじ不満から打倒美術館を叫び、そこを飛び出た〈サイト・スぺシフィック〉な作品という放蕩息子も、いまや妥協を知る大人となり、喜んで帰還するだろう。新しいdestinationとしての美術館。斜陽の町や古都がこの「不動産」に期待しているのは、作品ではなくその消費者を集めることである。(林卓行)

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