芸術の山

芸術の山とは、制作者にとって真に有益な批評的ツールを具現化する媒体である。

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*2 【補足:名古屋地域の批評の歴史(批評誌の歴史)と現況】

 名古屋地域では、批評的活動における新聞記者、美術館人の役割が比較的大きかった。名古屋の現代美術黎明期である60、70年代に役割を担ったのはもっぱら新聞記者であったが、90年代には新聞媒体がいずれも美術欄自体を縮小傾向に置いて収束方向へ。また美術館そのものの変革の時代を迎え、各美術館の開館以降、企画、研究関連以外には学芸員の私的活動として展開されてきた批評的活動にも限界が生じている。
 一方、職能的な批評活動を展開した人材が登場するのは70-80年代。『美術手帖』レビュー欄への名古屋エリア欄増設に関与、最初の執筆者となった中村英樹、遅れて地域主義を強く掲げた三頭谷鷹史(下記『裸眼』編集人)、昨年度美術系NPO団体として旗揚げした愛知アートコレクティブ代表、鈴木敏晴(下記『漆黒の馬』『ON THE BEACH』編集人)らがいる。
 ここでは、批評人とメディアにある程度の併走関係が認められる。公的機関による媒体は除き、名古屋/中部地域発の民間、非営利的「批評誌」の過去を20年ほど遡ってみると、各々短スパンながら意欲的な取り組みが行われてきたことがわかる。60年代、名古屋美術家協同組合の機関誌的刊行物『漆黒の馬』、80年代初頭の季刊誌『ON THE BEACH』を前身とする『裸眼』(1986-1993)は、「ゼロ次元」等、足下に誠実に向かい合う特集の他、美術界ではもっとも早く富山近代美術館の「大浦作品問題」を特集、編集委員による同美術館への抗議声明など実質的な運動組織としての性格も有していた。90年代には『レディース・スリッパー』(1994-1998)、ついで後継誌『蟋蟀蟋蟀(こおろぎきりぎりす)』(1999-2002)が登場、思想・文学・映画・演劇など広範な題材に私的に、しかしコアに切り込んでいく姿勢に特色があった(以上、演劇/映画批評媒体を含んでの詳細は、『なごや文化情報』No.228特集「芸術批評誌の現在」(高橋綾子)を参照されたい)。
 そして2003年、『REAR』創刊。こうしてみると、およそ10年周期で起伏を繰り返しているようだが、状況総体には大きな向上はなく、むしろ減退気味との声もある。おそらくは第5号における地域内外の関係者コメント、作家インタビューなどでも顕在化するとおり、批評の不在、脆弱化、変質を憂う声は尽きない。

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