芸術の山

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【批評の権力性】

評価には、文化庁など公的機関はいうに及ばず、美術団体や美術賞など、社会的に認知度の高い評価機関やそれの行う評価そのものといった、まさに政治的な権力が絡みついている。こうした巨大な権力に比べればはるかに矮小とはいえ、いかなるマイナー批評家によるマイナー誌上の言説であろうと、そこには権力性が発生する。つまり、発言者の求むと求めざる、好むと好まざるに関わらず、美術にまつわる言説の効力は、現時点での評価軸上、美術史的な評価軸上、また市場上に発揮される。このような言説の実践者として、権力性についての自覚は批評者につとに促されてきた。それは同時に、言説にのらなかったものへの思慮を欠かすなという暗示でもある。
 批評の第一義を判断・評価におくなら、その権力性はあらかじめ含意されている。しかしそこには「正義」もなければ「罪」もない。ただ、判断・評価の意義が存在するばかりである。だから、批評家が自らの言葉の効力に怯え、純真に筆を折るのでは本末転倒であるし、権力に付随する圧力を軽減する(権力性自体は廃棄し得ないのだから)配慮を欠かさぬばかりに、判断・評価という批評の第一義を裏切る可能性を持ちおくのも奇妙なことだ。批評者にとって必要なのは、「責任」を負うことである(→【批評と相対主義】)。負債は軽いとは言えないが、それを負って批評は始まる。換言するなら、責任を負うこととは自らの発話者としての立場を明らかにすることであり、それのない批評はあり得ない。
 読み手として注意すべきは、批評的言説における結果としての権力性よりは、そこでいかに周到な、つまり意識的な政治的発言が行われているかである。その政治的配慮がことを誇大化するものであろうと、逆に穏便化するものであろうと。

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