芸術の山

芸術の山とは、制作者にとって真に有益な批評的ツールを具現化する媒体である。

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【批評の自律性2:批評の始まり】

 あらゆるものは相互作用によって生まれるが、それが生成する過程でその依存対象を越えて自律する可能性をもつ。そこに賭けられているものは不連続さである。作品と批評は断絶している。制作者と批評家はともに手を取り合うことはできない。なぜなら制作者には批評家が無用であり、批評家には制作者が無用であるからだ。制作者に必要なものが作品であるのと同じく、批評に必要なものも作品である。
 作り手と作られるものとの関わり合いと同じ構造が批評(家)と作品にもある。作品とは制作者が関わりをもったにもかかわらず最後には制作者とは無縁の存在になる。その時、制作者と批評家は等価である。作品に対して紡がれた言葉が、作品と同等かそれ以上の強度を構造的に保持したとき、批評は自律する。手っ取り早い方法は作品の構造上の不整合を見出すことにある。そして何よりもまず直観的に「否」と言うことだ。整合性を有する作品が必ずしもよいとはかぎらないが、にもかかわらず批評的実践において必要なことはそこを突くことである。そのばあい依存対象を越えて批評そのものが整合性を保ち得る。
 よって問題なのは「批評(家)」とよばれることではない。芸術に触れたときの直観こそが必要なのである。わかろうとわかるまいと、何も臆することはない。門外漢のズブの素人の無責任さでもって、当の作品なり、作家なりを直観的に「否」と切り捨ててしまえばいい。批評(家)精神は、まずそこから始まる。

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