芸術の山

芸術の山とは、制作者にとって真に有益な批評的ツールを具現化する媒体である。

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【映像インスタレーションという方法】

 作品制作とはそれぞれの局面において制約を受けることがある。だが視点を変えることでそれが制約ではなくなってしまうこともある。映像の制約とは、それが時間を有するため鑑賞は観客を一定時間、拘束することにある。この制約がインスタレーションの方法に影響をおよぼしている。まず上映の方法はいまのところおおむねつぎのふたつに分けることができるだろう。あくまで映画やテレビ番組と同じように上映開始時間を明記することではじまりから終わりまでを鑑賞者に見せようとする方法、あるいはループ状にくり返し上映することで鑑賞者がどこからでも見ることができる方法である。前者に対応したインスタレーションは映像重視の見せ方であるためあまり複雑な構成を取らず、壁面やスクリーンにプロジェクションをするかあるいはモニターを使用したうえでいわばそこに映画館、劇場を再現する。後者は映像を副次的に使用することが多く、インスタレーションそれ自体をひとつの作品として提示する。だがここでわれわれはひとつの前提に容易に気づくことができる。これらはともに鑑賞者にとって鑑賞しやすい環境を作ることを前提としている。いわば鑑賞行為から導き出された方法である。映像とインスタレーションを分かちがたくあるものとして、それをひとつの作品と呼ぶのならば、一定時間の鑑賞者の拘束に配慮するあまりそこから作品それ自体が決定されてしまう選択は本末転倒であろう。
 言うまでもなく制作においてより重要な視点は作品の内容によって展示形態が決定されることにある。さらに作品が鑑賞者をも選ぶということもこのときありえるだろう。作品はそれが多様な読みを許容しているという点で開かれたものであるべきかもしれないが、かならずしもすべてのあらゆるひとを対象とする必要もない。もちろん不特定多数の予測不能な鑑賞者を安易な前提としてではなく内容の一部として含みもつ作品も可能だろうが、反対にある特定の限定された鑑賞者を対象とする作品も可能である。このように考えるとき先の映像にまつわる制約は解消される。そもそもはじめから問題にしなければよいのであるから。たとえば仮にその映像作品が一週間の鑑賞時間を有する内容であれば、仮にそれが特定のグループに向けた上映を目的とする内容ならば、それらに見合った展示方法や形態を考え出せばよい。それが仮に鑑賞に困難をきたすものであろうともその困難さを引き受けたものにのみ開かれている作品というものもわれわれは排除すべきではない。映像インスタレーションによる作品がそれでしか表現できないものとして考え出されたのならば、われわれはいかに実現困難なものであろうとも作るべきではないだろうか。(田中功起)
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