芸術の山

芸術の山とは、制作者にとって真に有益な批評的ツールを具現化する媒体である。

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【だれが日常と言ったのか:テーマについて】

 自由に作るということは芸術家にとってひとつの理想であるにしても、自らで思っている以上にわれわれは自由ではない。芸術を取りまく環境は勝手気ままな「自由な」制作をさえひとつの流行として片づけてしまう。いやそもそも個人の素質の幅はそれほど広くはない。
 芸術が日常になり、日常が芸術になるということが話題になることがある。日常のささいな事柄に焦点を当てそれを作品に昇華する制作がある。われわれはそれを見るときあるいは作るとき作品に用いられた日常的な素材や行為に着目する。しかしだからといってかならずしもそれがすぐに「日常が芸術になる」ということをあるいはその逆も意味しない。われわれは短絡によってずいぶんと作品を賤しめることがあり、あるいはそれによって評価しすぎることもある。日常的な素材や行為をただ単に見せたのならばそれはカテゴリー間の移動により新奇に見えただけのこと。たとえばアニメーションは芸術によって発見される以前に既にして優れてアニメーションであった。日用品が用いられているから日常と言ったり、その使われ方が日常ありえないからと言って非日常と言ったり、これではなにも生産的なことは起こらない。
 日常というテーマが重要なのではない。日常だろうが、非日常だろうが、平和だろうが、永遠だろうが、終末だろうが、ひとつの構造に内容が十分に表現されているのかどうか、そこに作品制作における最低限の基準がある。
 アーティストはそのときこの最低限の基準から自由を享受する。内容を十分に表す構造さえつかめば表層的な問題は一旦棚上げされる。必要に応じて身のまわりのありきたりなもので好きなだけ試してみるといい。日常的な行為であろうがスケールの大きな問題を扱うことはできるのである。(田中功起)

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