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【アウラとサイト・スペシフィック】

 サイト・スペシフィシティをクオリティのひとつとして明言する作家もいる現在、作品の価値としてのそれの認識は普遍化しているように見受けられる。この価値という言葉から容易に想像されるのは、「礼拝的価値」と「展示的価値」の対比であるが、いまや美術作品は、喪失した「礼拝的価値」に向けて再び舵を合わせているのだろうか。
 アース・ワークの代表的作家マイケル・ハイザーには、はっきりと古代回帰の思想をもつ側面があったし、展示の場(ノン・サイト)に「サイト」を招霊する試みを行ったロバート・スミッソンにも、少なからず「礼拝的価値」の復活を期した面がある。だからここでは、たとえわずかな時間で作品が塵芥に帰そうとも、「礼拝的価値」と不可分の関係にあるモニュメンタリティは、本質的には否定され得ない。アウラを求め(ここではかつてのような信仰と日常との関係は欠落気味ではあるが)、鑑賞者はまさしく〈巡礼〉に赴くのである。
 ところが、欧米中心主義に抗う今日の美術動向にとって、モニュメンタリティは忌みものも同然だ。アース・ワークはひとつの純粋化の在り方、つまりミニマリズムから派生するモダニズムの一形態であると規定し、これを批判するとき、この手のサイト・スペシフィシティはあからさまに反動的──場合によっては実に表面的に「時代遅れ」──なのだった。
 そもそもアウラは作品自体が醸し出すものではなく、いってみれば、それを感受する者に共通する、時代、地域、文化などに由来した価値観、信条である。仮に、広義でのサイト・スペシフィックな作品群が、「礼拝的価値」にその歴史的な正統性を求めるとするなら、これぞ本末転倒だからやめておくに越したことはない。
 当然ながら、「礼拝的価値」「展示的価値」は、本来、複製性をめぐっての価値体系であるから、関係性はあるにせよ〈場〉のみを焦点化した議論には不向きである。「特権的価値」に対する「公共的価値」だとか「共生的価値」とでもいうべきものを付け加えない限り、今日のサイト・スペシフィシティの価値化を云々することはできない。(山本さつき)
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