芸術の山

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【サイト・スペシフィシティの発生と変質】

 サイト・スペシフィシティという概念の背景となったアース・ワークは、一般に保存不可能であり、移動不可能であり、従って収蔵不可能な作品形態をもっていた。無論、一九六〇年代中頃にアメリカで制作された諸々のアース・ワークは、アメリカ的であること──壮大なスケールをもち、ヨーロッパ的因習から解き放たれたもの、また、非消費的であること──美術館やギャラリーに詰め込まれた商品としての美術品に背を向けるもの──といった意思表明をもつものであったし、エコロジカルな思想や、古代遺跡に範をとるような土地の霊的な資質に喚起されるものであったことを付け加えなければならない。ただし、「展示」そして「コレクション」という美術館の機能を軸に考えた場合、アース・ワークは明らかにそれに造反するものであった。
 しかし、今日、サイト・スペシフィックな作品が多々見られることに理由を求めるなら、少なくとも「反制度」は大多数のそれにはならない。おそらくは、いま、そうした作品群を牽引しているのは、なによりも日常(社会)との、あるいは観衆(社会)との結びつきの点だろう。
 サイト・スペシフィックな作品の増加は、美術の(制作の/享受の)民主化と無縁ではない。サイト・スペシフィシティのもうひとつの道筋である「行為」は、アース・ワーク同様、「展示の場」に闘争を挑む動向であるが、ここに浮かび上がった「サイト」とは、行為者と鑑賞者という二つの変数によってつくられる「環境」であり、それを生成するための適切な媒介として選ばれたのが、多く日常生活の場であった。だが、行為者と鑑賞者の関係性、あるいは環境という性質にのみ着目する限りは、もちろん適切な場は限定されない。サイト・スペシフィシティという反制度的理念が、インスタレーションという制度内でも通用する手法に近いものに併呑されていく背後には、このような眼目の変化を見てとることもできる。
 一方、制度側に反逆児どもを受け入れる姿勢が生まれたことも、サイト・スペシフィシティの変質に加味されてしかるべき事項である。ここには、その所以はさておいても社会が現代美術に視線を投げはじめたという点、アヴァンギャルドの陳腐化と穏健化という点などこもごもの理由が考察可能であるが、少なくとも今日、サイト・スペシフィックな作品制作の場は社会の中に存在し、収蔵すらも可能なのだ。委託制作(=サイト性の強化)と恒久設置(=コレクション性→展示・公開性の強化)の二大オプションをつけることでサイト性にコレクション性を併せ持ち、それゆえに社会的価値との整合性を得やすい作品は、今日種々の開放性を求められる美術館にとって旨味ある対象である。
 美術館に寒風吹き荒ぶ時勢に、相当のハイリスクを伴うはずのこの種の作品収蔵、展示が盛んなのは、ハイリターンへの期待なのか。そのリスクを真っ当に負わないために、(誰が何に対して負うのかがことさらに不可解であるにしても)、どこにいっても似たような作家の似たようなサイト・スペシフィック(的)な作品があるという、妙なオチがつかねばよいのだが。(山本さつき)
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